ギャーテイギャーテイ

処世術

禅(仏教)にハマっています。

というと少し気持ち悪いですよね。

でも、色々本を読んでいる中で、しっくり来たのです

もしかしたら実家が曹洞宗で、親父が毎朝読経していたこともちょっと影響しているのかもしれません。

お釈迦様

※浅い知識で話しますので、あまり参考にしないでね。

仏教はざっくりいうと「悟ること」を最大目標にする宗教です。

初めて「悟った」のはみなさんご存じお釈迦様です。

幼きお釈迦様は思いました。

「世の中苦しい事ばっかじゃねえか!!!」

そして、家出して色々と修行とかしてた結果

「あ、分かったわ、ほんで全ての悩みから解放されたわ」

となりました。

この「あ、分かったわ」が悟りです。

悟り

悟りの境地に達すると、全ての悩みから解放されるそうです。

何が分かったかと言うと、

「悩みなんて全て俺の空想じゃん」「ていうか、世の中に悩みなんて無いじゃん」

ということが分かったらしいです。

この「空想・無い」の概念は仏教においてめちゃ大事で、般若心経にも死ぬほど・「無」と「空」が出てきます。

悟った方々は言いました。

悩みは最初からなった(全て空想)、だから喜びもない(喜びも空想なので)

さらに言うと、目に見えるものも全て空想。聞こえる音も空想。匂いも空想。

だからもう、視覚も聴覚も嗅覚も無い。

 

・・・

 

いや、さすがに意味わかんねえ

ですよね。もちろん僕もそうです。

でもそれは僕たちが悟ってないからです。

悟るために

悟るってのは、それはもうめちゃくちゃ気分爽快らしいので、出来ればみんな悟りを開きたいのです。

でもお釈迦さまは、ゴールだけ教えてプロセスを明確にしてくれなったので、いろんな人が一生懸命考えたり、一生懸命修行したりしました。

その結果、めちゃくちゃたくさんのプロセスを提唱されました。

その、プロセスの違いが「宗派」という訳です。

ある宗派では、「お経を唱えれば悟りに近づける!」

またある宗派では、「辛い修行を乗り越えることで悟りに近づける!」

またまたある宗派では、「もう踊ってしまえ!」

またまたまたある宗派では、「立派なお寺が必要なので、お布施をください!」

全部悟りをゴールとしている仏教です。(場合によっては新興宗教だけど)

その中に「禅宗」と言われる宗派があります。

開祖は達磨(だるま)というお坊さん。

赤色をした縁起物の「だるま」の由来になった人です。

この達磨さんは9年も毎日壁に向かって座禅を組み、悟りの境地に至ったそうです。

「だるま」に手足がないのも、そんな達磨さんが座禅を組む姿から来ています。

座禅は禅僧の修行における基礎になりますが、その教えの特徴を今風に言うと「ミニマリズム」です。

昔、禅宗の良寛といういうお坊さんがいました。

そのお坊さんは、とても立派なのにいつもボロボロの着物を着ています。

体もやせ細っているし見るからに貧相です。

人々は聞きました。

「周りのお坊さんは、立派な服を着ているのになんで、なんで誰より優秀なあなたが、そんなみすぼらしい身なりなのですか」

良寛さんは答えました。

「いや、僕三升の米と薪があれば他の物いらないんですよ」

へえ、変な人だな。

と思った人は禅じゃないです。

「うおー良寛カッケー!!!」ってなるのが禅です。

日日是好日

にちにちこれこうじつ

と読みます。有名な禅語です。

意味は、

生きていれば雨の日も晴れの日もある、辛い日も楽しい日もあるけど、全て良い日なんだよ。

的な意味です。

 

いやいや、辛いことがたくさんあったら嫌な日だろ。

 

と思ったあなたは禅じゃないです。

 

「せやな、生きてるだけで丸もうけやもんな!」

 

という、明石家さんまさんは禅です。

 

禅を心得たい

どうやったら、達磨さん、良寛さん、さんまさんみたいに「禅」を心得られるのでしょうか。

それは今ある環境に「感謝」することみたいです。

・・・

出たよ感謝

あらゆる自己啓発、あらゆる宗教、あらゆる教育で「感謝しなさい」と言ってきやがる

やたら「ありがとう」言うやつ気持ち悪くね?

「感謝せよ」を押し付けてくる奴もっとキモくね?

って少しでも思ったら、禅じゃないです。

加藤浩次は言いました

「当たり前じゃねえからな!!」

あれこそ禅です。

謹慎開けの山本圭壱だけじゃなく、我々ももっともっと感謝すべきなのです。

分かるけど、、、

分かるけど、正直きついですよね。

だって僕らは欲まみれです。

しかも欲は原動力にもなり得ます。

スティーブ・ジョブズは言いました。

「Stay Hungry」

どん欲であれと。

褒められたい、美味しい物食べたい、お金持ちになりたい、おしゃれな服を着たい、立派な家に住みたい、出世したい、怒られたらムカつく、恥ずかしい思いはしたくない、努力は報われてほしい。

大なり小なり、こう言った欲があるから、頑張れる。

そう言う面はあると思います。僕もそれで頑張ってきました。

でも、欲望ドリブン果てしないので、めちゃめちゃきついと思うのです。

だって「Stay Hungry」ですよ?

食べても食べても、ずっと腹減っているのですよ?満腹って思ったら負けなんですよ?

きついでしょ。

有名な禅語で「放下着(ほうげちゃく)」という言葉があります。

意味は

欲も物も捨ててしまえ!そんなものに執着してるから、苦しむんだ!

的なカンジです。

スティーブ・ジョブズの「Stay Hungry」の対極にある言葉ですね。

みなさんはどっちの方がしっくりきますか?

(ちなみにジョブズも禅が大好き。だけど彼の火種は欲なのでしょうね。)

座禅

目を閉じて座禅を組むと欲が出てきます。

仕事嫌だなとか、もっと~~の為に頑張らなきゃとか。

でも放下着。

その考え(欲や不安)を捨てて、呼吸とか身体に意識を向けるのだそうです。

これを継続していくと、次第に意識のベクトルを変えることが、上手になってきます。

だから、嫌なことがあっても、その事ばかり考えるのではなく別の事に意識を向けることが出来るので、負のスパイラルに陥らないようです。

ベクトルの切り替えがもっと上手になって

他人の優しさに意識を向けることが出来れば、自然と「ありがとう」と言っているかもしれません。

日々の景色に意識を向けることが出来れば、「美しい日」が増えるかもしれません。

自分の成長に意識を向けることが出来れば、「他人の評価は気にならない」かもしれません。

そういうことを積み重ねたらきっと日日是好日なのでしょう。

 

どうですか??

「いや、僕三升の米と薪があれば他の物いらないんですよ」

と言った良寛さんがカッコよく思えて来たでしょ?

あなたも、禅です。

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