読み応え満点だった。
最近面白かった本トップ1・2とも言える
「観察力の鍛え方」と「メタ思考トレーニング」
それぞれの著者である佐渡嶋庸平と細谷功による共著(対談)をAmazonからおススメされた。
レコメンド機能おそるべし
わかっているねえ、Amazon君
ポチー
今回はそんな本の要約
しかしボリューム満点であり、要約が難しい。
とういうか要約する本ではない気がする。
ということで、心に刻んでおきたいフレーズや概念などを羅列していきます。
1、 具体と抽象
お二人は「具体」と「抽象」を意識して情報(言葉)をとらえています。
なんのこっちゃ?
説明が難しいので、例を
抽象:料理 → 具体:中華料理
抽象:中華料理 → 具体:餃子
抽象:餃子 → 具体:焼き餃子
このように、抽象は具体の上位概念にあたるものです。
この「抽象」を理解するのがめちゃくちゃ大事です。特に「円滑なコミュニケーション」には抽象度を合わせることがポイントとなります。
例えば、
父:「お母さん”あれ”とって。」
母:「はい、どうぞ(醤油を渡す)」
父の言う「”あれ”」はめちゃくちゃ抽象的な言葉ですが、母はそれを理解できるので円滑なコミュニケーションが取れています。
ここで、
母:「”あれ”じゃわからないわよ!!」
となってしまうとコミュニケーションとしてはイマイチです。
あとは
妻:「何食べたい?」
僕:「うーん、なんかさっぱりしたやつ」
妻:「それじゃ分からない、ちゃんと考えて。」
僕の言う「”さっぱりしたやつ”」はめちゃくちゃ抽象的な言葉ですが、妻はもっと具体的な案を求めている場面なので、円滑なコミュニケーションが取れていません。
ちなみに、「気が合う人」というのは、自分と抽象度がそろっている人なんだそうです。
「あれとって」
「さっぱりしたやつ」
「なんか物足りないよね?」
「パーッとやりたいね」
「ゆっくりでいいよ」
これらは全て抽象的な表現ですが、そんな言葉にぴったりなアンサーを返してくれる人とは上手くやれそうな気がしますよね。
なるほどなあ
2、 失敗も成功も同じ
「成功の反対は失敗」ではない。
「どちらも何かにチャレンジした。」ということであり、本質的には同意。
つまり、成功の反対は失敗ではなく、「なにもしない」である。
という事らしいです。
うーん、なんとなくわかる。
けど、ピンとこない。
成功はしたいけど失敗は絶対したくない。
成功したらうれしいけど、失敗した悲しい。
成功したら褒められるけど、失敗したら褒められない。
と思っていました。
でも最近「あ、このことか」という状況を思い出しました。
学生の時、僕は合コンに行きました。
そこで僕は、一番タイプの子と意気投合し、後に付き合うことになりました。
合コン成功です。
しかし、その子はとんでもないメンヘラであり、その後2年間地獄のような日々が続きました。
そう考えると、合コン失敗です。
しかし、自己中心的メンヘラ彼女と付き合う中で僕自身の自己中な考えは結構是正され、その後付き合った子と結婚し、今は幸せです。
そう考えると、合コン成功です。
ね、失敗も成功も同意でしょ?
この例だけじゃなくても、僕らの成功や失敗を思い起こしてみると、同意なんです。
だとしたら、縮こまってアクションをしないのは、もったいないし、いちいち一喜一憂するのも違いますよね。
そういえば、UNIQLOの柳井社長の著書も「一勝九敗」「成功は一日で捨て去れ」とかですよね。
なるほどなあ
3、無知の知
アリストテレスの名言「無知の知」
私は「”自分が何にも分かっていない”ってことを知っている」
だから、貪欲に学ぶことが出来る。
だから、自信過剰にならない。
だから、他人をさげすまない。
だから、誠実でいられる。
ああ、いい言葉。
誠実、謙虚、親切、勤勉、みたいな具体的な目標(具体)を抽象し「無知の知」でマルッとまとています。
ああ、かっこいい。
でも、アリストテレスに感心している場合ではありませんでした。
この本を読むと「無知の知」の世界が莫大に広い事を思い知らされ、「俺って自分自身について何にも分かってねえな」って思うようになりました。
特に思ったのが自分の「感情」と「過去」に関して。
感情について
感情は「雑なラベリング」をしてしまう場合が多い
例えば、「明日仕事で嫌だな」という感情
これは雑です。
仕事に行ってもタスクが終わらなそうで「不安」なのか
疲れていて「体が重い」なのか
嫌な上司から叱責されるのが「腹ただしい」のか
次々とタスクが降ってくることで「焦っている」なのか
本当は理由がある色々あるはずなのに、それをマルッと雑にラベリング(抽象化)して「仕事が嫌」で表現してしまったら、もう思考停止です。
このように「仕事嫌」という言葉で雑にラベリングしてしまうと、本当は充実している時間すらも「嫌」「めんどくさい」となってしまうそうです。
心当たりありすぎる。
しかも、その感情は僕たちが「選択している」のだそうです。
例えば「子供を怒る」という行為。
子供に理想的な行動をとってほしい(間違ったことはしてほしくない)。それを伝える方法として「怒りスイッチ」をポチッとおして、叱るのです。
でも怒るではなく、「会話する」でもいいはずですよね。
ただ、最も効果的な(手っ取り早い)方法は「叱る・怒る」なので、僕らはつい「怒りスイッチ」を入れて叱っているらしいです。
心当たりありすぎる。
ああ、はずい、はずい、はずい。
過去に関して
諸説ありますが、アドラー心理学的では、
「過去の中で思い出しているのは、現在の価値観を支持するもの」
なんだそうです。
例えば、「自分は運が悪い」という価値観で生きている人は、助かけてもらった、得をした、という事は思い出さず、悪い出来事ばかり思い出すのです。
例えば
僕は「スポーツは最高だ」と思っているのですが
スポーツに関する良い思い出や感動的なエピソードはいくらでも思い出すことはできますが、その逆は思い出せません。
むしろ、嫌で苦い思い出さえも「それがあったから成長出来た」という風に変換することが出来てしまいます。
結局は今の自分次第
そう思うと、極端に言えば過去は存在しないものになります。
「今が楽しい」が最強なのです。
感想
「今が楽しい」が最強
の概念は非常に心強く感じます。
僕はこれまで「成果や評価」を心のよりどころにしていたように思います。
そのおかげで頑張れたりもするのですが、失敗や叱責などでそれらが棄損されそうになると、ひどく落ち込んだり、不安になったりしていました。
でも頑張ってるかぎり、失敗はするし、怒られる時もある。
だったら、もっと楽しむことに目を向けた方が良い。
そうすれば失敗した過去も成功に変わるのです。
抽象的に言えば、今を楽しめれば最強
具体的に言えば、子供の送って、仕事して、筋トレして、妻と寝ることが出来れば最高の一日
それが出来なくても、まあいい一日
そんな日々を積み重ねていきたいなぁ
なんて思った一冊でした。
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