めっちゃ泣いた
スラムダンクを映画で観た
ばかみたいなことを言って若干恥ずかしいが、今まで観た映画で一番泣いたと思う。
このエモい感情に蓋をせず、むしろ今回はそこに焦点をあてて、超真剣にエモーショナル感想文(ネタバレ含)を書いてみます。
映画「THE FIRST SLAM DANK」を観て
僕はこの映画を観て「挑戦」「愛情」について改めて考えた。
挑戦
映画は2人の少年の1on1のシーンから始まる。
2人は兄弟でオフェンスは弟の「リョータ」、ディフェンスは兄の「ソータ」。
兄は、弟に「もっと攻めろ・逃げるな」と厳しく指導するがそれが出来な弟は1回も抜けず1本も決められない。何度やっても。
しかし最後、弟は勇気を振り絞って兄に挑み1本決める。その後、兄は弟を抱きしめて「怖かっただろ。」と伝える。
ここは個人的には一番好きなシーンである。
挑戦することが大切なくらい、みんな知っている。僕も会社や学校で「ミスを恐れず、挑戦しよう」的な事を言われ続けてきた。
にもかかわらず、僕は挑戦するタイプではない。
「挑戦するのが怖い」のである。
しかも「怖い」を認めたくない節もある、大人になって働いて、「怖さ」にそれらしい理由をつけては、やれない言い訳をすることが上手になっている。
「怖がっていい、誰だって怖いんだよ!そこから逃げるな!」
兄の宮城ソータは幼いながらに、父を亡くし家族を支える決心をしていた。きっとたくさんの葛藤があり、たくさん失敗もしたのだろう、でも、その生活の中で一番大切にしている教訓をバスケと愛情を通して、弟「リョータ」へ伝えたかったのだと思う。
その言葉と、家族への愛情がむちゃくちゃ刺さった。
「愛情」
いつまでも兄を影を追い、葛藤する「リョータ」と、悲しさや寂しさから抜け出したい(いっそリセットさせたい)母の関係は、少しずつ離れていく。
特に長男の部屋にリョータが入った時に、それを厳しく叱る様子、大切な遺品を全て捨てようとする様子は生々しかった。
親だって弱いのだ。
本当は、リョータにバスケをしてほしくなかったのだろう。兄を思い出してしまうし、兄との差に葛藤する「リョータ」を見るのはいたたまれないはず。
寂しいけど、寂しいままはつらいから、少しだけ忘れて残された家族で笑って暮らしたかっただろう。
でも、母はリョータからバスケを取り上げることはしなかった。
「バスケやめなさい」と言ったことは一度もなかった。(たしか)
そのおかげでリョータは、バスケを通じた多くの出合いや、経験で成長し、バスケによって兄への思いを昇華させることが出来た。
そしてインターハイ出発の前の日、リョータは母親に手紙を書く。
「生きているが僕でごめんなさい。」
と書き始めるが、書き直して
「バスケを続けさせてくれてありがとうございました。」
と書く。
僕も2人の子供がいて、彼らには出来限りの愛情を注ぎたいと思っている。
でも、愛情ってなんだろね。
この映画を観て思ったのは「子供を信じる続けること」かも。と。
リョータの母がバスケを続けさせたのは、心のどこかで「リョータは兄の死を乗り越えられる」「兄を越えられる」と信じていたのかな。と。
女手一つで子供二人を育て、自分自身も悲しみを乗り越えられていない中で、息子を信じ続けるのは相当ハードだったはず。
しかも、息子はそこそこグレたり、バイクで事故ったりしやがるし。
それでも信じたんだろうな。信じなきゃいけないんだろうな。
どんなことがあっても信じて見放さず、子供の進む姿を見守る。
それが愛情な気がしました。
感想文の感想文
やっぱりエモい文章は、読み返すとこっぱずかしい。
おじさんがエモくなっている文書なんて、誰が読みたいのだ?
でも、言葉にするってのは大事でした。
スラムダンク観てめちゃくちゃ泣いたけど、
「何がそんな泣けるの?」と聞かれたら、
「なんかよくわからないけどめちゃくちゃ感動した」
と答えており、正直なんで泣いたの分かってなかった。
でも、こうやって言葉にしてようやく、自分の感情に気づけたり作品の魅力を伝えられたりする気がしました。
でもやっぱりはずかしい
トレード上手:脱スマホ
目標:3時間30分
スクリーンタイム
12月21日:2時間12分 トレード成功!!
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